P87
実践としての民主主義が発生するのは、(中略)、概ね、なんらかのコミュニティが、国家の視界の外でどうにかやっていこうと努力する時のことだ
→つまり、①強制力を備えた②体系立てたメカニズムが存在しないこと。
民主主義的革新がなされ、民主主義的価値観と呼べるような何かが生まれるのは往々にして、私たちが文化館の即興がなされる領域と読んできた空間からなのだ。
民主主義的即興の空間 (p87)
そこに存在するコミュニティは、即興空間の住民 (p110)例えば、初期近代の大西洋世界における海賊船乗組員たち、南北アメリカのフロンティア社会。フロンティア社会で生きるという現実の経験、「混合体(アマルガム)」。西洋だけではない、特定の文化や国、地域どこにでも発生しうる空間。
空間の中では、民主主義的な営みが発生する。しかし、この種の伝統は総じて、民主主義的な手続きやそれらを活用する人々(統治エリート層)とはこれまでハッキリと敵対してきた。
それぞれに異なる伝統と経験を持った多種多様な人々が、互いに折り合いをつけていくために何かの方法を見つけ出さざるを得ない (p88)
アナーキズム的な態度が生まれる空間、関係性、営み。
その間は紡げないのか?p117
民主主義者たちは過去200年にわたり、民衆の自己統治に関わる諸理想を、国家という強制的装置に接木しようと試みてきた。
国家とは、その本性からして、真に民主化されることはあり得ないものなのだ。
新民主主義の諸体制