- 神からの道と神への道のふたつ
- 神からの道は、ムスビ=うみだす、創造の力の発現の過程の中に過去現在未来があると考えてきた。これは、存在の流れや万物の歴史ともいえる=根源的な贈与。
- 神への道は、その贈与に対して心から感謝して畏敬し、「返礼」していく道。それが祈りや祭りともなる。Deep careでいうケアの実践とも言える
- 火山の噴火を災害ではなく自然の大いなる神の営みとして、それをういれていく大地のコスモロジーが必要とかる。その地球全体の営みをホリスティックにみる見方がこれからのライフスタイルにも必要であり、生活の流儀になる。神道、神ウェイは大自然の営みを受け入れその道に従うもの
- 人為を超えたものの力が信仰になる
- 神道を神の道。神の教義ではなく、神ウェイ、生活の流儀として伝承されてきた
- 産土。土を産むのは火山爆発であったり、その溶岩流や土砂崩れの地滑りにより新たに土が堆積していく。災害を大地の創造力として取り込む。神社はその中での地盤のしっかりしたとこに創建される=災害が起きたらすぐに避難し生活を再興する場だった
- 神中心主義から人間中心主義になった(デカルト)。それを神中心以前の生命中心に戻り再構築する。先住民の叡智や神道はこのための知恵の宝庫
- しかし、神道は詩的に理解しなければ真髄をつかめない。美的感情なしにはあり得ない。初日の出を拝む、朝日に向かい手を合わす、初物を神に捧げる、ご先祖様にお供えする、という暮らしに美的様式が残る👉この辺は民藝視点からも繋げられそう
- 神道の根幹には、大気や樹木の自然の霊性そのものがある。そのいのちたらしめる超越的なものに畏敬し感謝し祈る。それが神道。
- 神社は「人と神は一であると直観する霊性回復の場」
- 古事記には草木も石も言葉を発していた。自然がいのちの交歓をする。木は空に語り空は海に語る、、
- いのちに通じるのさ、命をいのちたらしめるエネルギーや力、目に見えない存在に対して感覚を開くこと。それと自己のつながりを感じること
- 大自然や先祖の営み、悠久の歴史や生命に対する畏怖畏敬、尊敬を持つことが神道の心
- それをお供物などで行為として表してきた。または、いのちを贈与する恵みに対してのありがとう
- 朝日にも、森の主にも台風や地震にも手を合わす心、これが環境破壊に対する感性基盤になる
- 神は存在世界の存在論である。仏とは人間世界の実践論であり、認識論である。
- 「祭り」は神の訪れを「待つ」、供え「奉る」、自然律に従う「まつろう」、究極の均衡「真釣り」の4つの意味がある
- 祈りは個人の行為、祭りは共同体の紐帯である
- 神道とは存在感覚である: 「存在感覚」っていう部分が重要な気がする、これがDeep Careのあり方にもつながる