ムードと現代人

ムードという言葉は受動的で、停滞的で、ぬるま湯に使っているような、激しい感情の起伏のない雰囲気を指す言葉でしょう。能動的な生活態度や積極的な快楽追求の姿勢とは、まるで正反対なものです。

できそうなことには手を出さないという現代青年の考え方は合理主義とかではなく、むしろ自分の都合のよいように自分自身の欲望をごまかし、正当化し、歪曲する怠惰な精神の現れだと思います。これではますます視野は狭くなり、ますます理想は低くなる一方ではありませんか。

ムードのところは世間体とも言い換えられそう。

「レジャーを楽しもう」というムードは、マスコミ、娯楽、観光などの余暇産業が作り出したもの。レジャーに快楽があるとしても、規格品の快楽に過ぎない。

幸福と快楽の違い

幸福はふわふわとした主観的なものであり、当事者の感受性や人生観、教養などによってどうにでも変わりうる。快楽は確固とした客観的な基準があり、ぎゅっと手で掴めるような新鮮な肌触り、重量感があります。

快楽とは瞬間的なものであり、幸福とは持続的なものである。

幸福ではない。断じて幸福ではない。快楽だ。 ーオスカー・ワイルド

2つの快楽主義

目的はいずれも同じで、「人間の本能、欲望に忠実であること」。自分は両方まあまああるな...。

東洋的快楽主義

自然主義。反文明主義。最低の物質生活でぶらぶら遊びながら暮らしていく。ある意味怠惰。快楽原則のまにまに、あっちへふらり、こっちへふらりと流されていくヨットのような生き方。

西洋的快楽主義

反自然主義。文明主義。建設的。前進的。ねちっこく、あぶらっこい生命力に満ちている。熾烈な快楽を求めるモーターボートのような猪突猛進的な生き方。

こういう徹底した東洋的な、自堕落な退廃にくらべると、西洋流の、金力と精神力とであがなう美の殿堂など、吹けばとぶようなけちなものに思われてくる。

博愛主義は嘘の思想である

博愛主義は嘘の思想である。ハイボールを薄めてるようなものである。これくらいはっきりしていると気持ちいいな。